ふるさと古寺巡礼 ―印旛・香取、古寺名刹の世界―

ふるさと古寺巡礼 ―印旛・香取、古寺名刹の世界―

「成田山と古代印旛の謎」

3. 房の国は扶桑の国か

ずいぶん以前のことですが、私が千葉県人だと知って「中国の古典に出てくる扶桑の国は、房総半島のことではないでしょうか」と問いかけられたことがありました。太陽が昇る地だという記述と合う点やフサとフソウの語感の一致を指摘していました。その時は半信半疑だったのですが、最近になって面白い本に出会いました。中国社会科学院(当時)の「可 新」著「神々の起源」で1985年に中国で出版されたものです(日本版は1998年樹花社刊)。可氏の著書は私のような者には手に余るのですが、氏は山海経に出てくる「扶桑の国」は日本の関東で、扶桑山は富士山であると自説を展開しています。その中で、扶桑の「扶」の古音は、「buo」であると考察しています。だとすると、扶桑は「buo-so」と呼ばれていたことになるのです。

扶桑は中国東方の日の出るところ、海中の大樹であるとともに、国としても認識されていました。その樹の高さは数千丈とも三百里とも言われます。そして、枝には九つの太陽が住むとされ、扶桑国が太陽信仰の聖地であることを伺わせます。もう一つ、面白いのは扶桑国の描写の中にある「暘谷」です。暘は湯とも書かれ、山海経の注には「湯は熱水なり」「湯谷は谷中の水熱きなり」とあるのです。可氏は、これを温泉と解釈し、扶桑が関東地方であると結論する重要な論拠の一つとしているのです。現在の千葉県に温泉が豊富なわけではありませんが、周辺の草津や塩原など、湯の沸く谷はたくさんあります。問題は、その中央部を可氏のように富士山と考えるのか、東の突端にあたる房総半島と考えるかの違いなのではないでしょうか。そうなると、日の出を直接拝し、縄文時代の一時期には海の中の島となって東海に面していた千葉県が、その古音との一致と相まって最も有力な候補地となるのではないでしょうか。また、「太陽が昇ると扶桑山上の玉鶏が鳴き、玉鶏が鳴くと金鶏、石鶏と鳴き、石鶏が鳴くと天下の鶏が鳴く(神異経)」ともあって、やはり、海に面した日の出に最も近い場所がふさわしく思われるのです。

一方、日本の風土記逸文にも面白い話が出てきます。昔、この国に大きな楠が生じ、高さ数百丈に及んだ。この木を切ったところ南に倒れ、上の枝を上総、下の枝を下総と呼んだとの内容です。これは山谷経の「扶桑樹」を思い起こさせます。また、日向の国風土記逸文では、その国名の由来として「扶桑の国にまっすぐに向かっている」とあります。宮崎県から東に進んで太陽の出るところ、これも、房総半島にふさわしい記述だと言えるでしょう。

今現在、最も古いとされる縄文土器は神奈川県出土の一万四千年前の物になっているようです。今後、これを上回る古さの物が出ることは当然あり得ますが、関東地方が古い歴史を持つ地であることは否定することは出来ません。太陽の昇るところ、豊かな温泉の湧く地、関東・房総。遙か古代、その輝ける時代があったのでしょうか。

※平成21年現在、日本最古の土器は青森県外ヶ浜町大平山元遺跡出土の一万六千五百年前(炭素測定修正値)の無文土器となっています。これは世界最古にもあたるものです。