ふるさと古寺巡礼 ―印旛・香取、古寺名刹の世界―

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「成田山と古代印旛の謎」

2. 不動明王と鬼信仰

有名な三国志の倭人の条に、卑弥呼が「鬼道をよくする」という記述があります。この部分を注目する人はあまりいないのですが、ここで言われている「鬼道」は、現代の日本にもあるのではないでしょうか。そう、男鹿半島の「なまはげ」です。ところが各地の祭りを見ると、鬼が征伐の対象となるだけではなく、人々の災いを払う良い役割を果たす場合が見られるのです。

キリスト教世界の「サタン」も、元は信仰の対象であったという話も聞いたことがあります。中国にも鬼信仰があったらしく、孔子が「鬼道をよくするあたわず」という言葉を沢山残しているし、仏陀の言葉としても「悪魔との対話」としてまとめられたものがあります。現代の常識では、鬼と言えば、邪悪な恐ろしい存在としか思えません。その鬼が、世界的に信仰対象となっていた時代があったとは、一体どういうことなのでしょうか。

その答えは現代に残る「なまはげ」によって知ることが出来るのではないでしょうか。なまはげは家々をまわって、子供達に「良い子にしているか」と脅します。親達は、そんななまはげを歓迎し、或いは自らなまはげに扮するのです。ここでは、なまはげは人間を正しい方向に導き、自分のような恐ろしい姿にならないように諭しているかのようです。古代のある時期、道具や生産手段の発達により、生きることで精一杯の状態から、物的にも精神的にも余裕が生まれてきた。なんでも自然中心の状態から人間の我儘が頭をもたげるようになり、人の意思や欲望で動かせる世界が広がった。人間が自由の味を覚え、その行き過ぎや暴走、その逆に抑圧、鬱屈による爆発や権力を持った者の暴虐などが出てきたのではないか。古代の人々は、そんな悪鬼のようになった人間の姿に直面したからこそ、鬼や悪魔という人間に対する反面教師を作り出したのではないでしょうか。世界各地に鬼や悪魔を信仰した時期があったのは、そんな人間を戒め、社会を守るために生み出された信仰の形なのではないかと思えます。

ところで、不動明王は大日如来の憤怒の姿だと言われています。そんな不動明王の姿は鬼のようだと言ったら、お叱りを受けるでしょうか。

下総町に常福寺というお寺があります。このお寺が寛永2年(1625)に中興され不動明王を安置したところ、門前に市が立つほど賑わったのだそうです。これを知った時は「そんなこともあるのか」と思っただけだったのですが、日本人の心の底に鬼信仰の伝統が生きているのかもしれません。だから、不動明王が民衆の支持を受けるのではないでしょうか。そう言えば、成田山の節分では「鬼は外」とは言いません。

最近、十代の少年少女達の、それこそ悪鬼のごとき犯罪が次々と起こっています。夜の闇の向うに住む古代の鬼達が今、こう言って笑っているかもしれません。「それ見ろ、人間の心の中にだって恐ろしい鬼が住んでいるじゃないか。俺達が人間の心の中の鬼を退治できることを、昔の人はちゃんと知っていたのになあ」と。