京都智積院で研学修行に励み、明治13年、中興第14世新勝寺貫主となり、明治維新の廃仏毀釈を経た時代に寺内諸堂の修復再興に務めました。寺域の拡張も進め、成田山公園の基礎を作るとともに教育にも熱心に取り組み、明治20年、成田英漢義塾を開校。旧制成田中学校を経て現在の成田高校となりました。千葉県知事を総代として身寄りのない子供たちの保護と更生を目的に県内各宗、宗派により設立された千葉感化院の経営を成田山として引き受け、成田山感化院としました。現在の成田学園です。 成田町の発展と参詣客の利便のために鉄道の敷設を唱道し、発起人代表として下総鉄道会社を設立しました。日本の近代化という大きな時代の流れの中で、成田と成田山繁栄の礎を築いてくださいました。 当ホームページの「男坂、女坂を登る」の女坂「梵字講」は三池大僧正が安政3年発足の向島講に改称を勧めたもので、「不動明王」と書かれた巨大な石碑は三池照鳳大僧正敬筆によるものです。
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