ふるさと古寺巡礼 ―印旛・香取、古寺名刹の世界―

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大慈恩寺「五輪塔」

「五輪塔」

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雲富山池光院大慈恩寺
大栄町吉岡
創建・鑑真和尚
真言宗智山派
本尊・釈迦如来

撮影・平成9年1月23日
4×5判 90mmF6.8 F22 2秒 EPP

撮影ノート

大慈恩寺は、鹿島神宮に向かう天皇の勅使の泊す寺です。その開基は古く、唐僧鑑真にまで遡ります。

寺伝によれば、鑑真は大和招提寺、筑紫観世音寺、下野薬師寺を建立した後、この地に来て一宇を建て、雲富山慈恩寺と名付けたのだといいます。寺は後に荒廃したのですが、僧眞源が復興を志し、延慶3年(1310)、遂に中興を果たしました。この眞源については、梵鐘の銘に見えています。また、元中8年(1386)には後小松天皇の尊崇浅からず、「大」の字を賜わったのでした。

大慈恩寺には山門が二つあります。その一つは勅使門と呼ばれ、香取神宮への例幣使が本寺を宿舎としたために、別に門を設けているのです。

また、足利尊氏が全国の国ごとに安国寺と利生塔をもうけた際、下総の国では、大慈恩寺が指定されました。利生塔は、敵味方の区別なく犠牲者を弔おうとするもので、そのような例は、他にも見ることができます。これは、日本の誇るべき美しい伝統の一つと言えるのではないでしょうか。それに比すと、いわゆる靖国神社論争は、実に狭量ではないか。兵士は当然としても、犠牲となったあらゆる人々を慰霊することをしないで、どうして戦没者の慰霊と反省を語ることができるのでしょう。A級戦犯もまた、国家の政策と時代の犠牲者です。敵味方を隔てなく慰霊しようとした尊氏の精神に学ぶべきだと思います。

写真は勅使門の先、山中の五輪塔です。初めて訪れた際に注目し、撮影したのですが、露出が大きく外れてしまっていました。それは、自分としては納得の行かないことでした。そこで、もう一度出直したのですが、拝むような気持ちではなく、本当に拝んでから写させていただきました。逆光ではありますが、むしろ、私の得意とする構図です。