樹林寺「愛慈妻の境内」

撮影ノート

太治元年(1126)、千葉常重が夢想を受け創建し、祖良文の守護仏、観世音を本尊としました。平良文は将門と戦ったのですが、晩年は朝に咲いて華やかな桔梗よりも、黄昏に匂う夕顔を愛したのだといいます。ここで言う「桔梗」は、将門の愛妾を指すのではないでしょうか。

年老いた良文は、忠頼との会話の中で衰えて頬の痩けた顔が「だんだん瓢に似てきた」とつぶやきました。そして、生きた仏を望むなら、園圃に行って自分に似た瓢を見よと、言い残しました。その言葉通り、瓢圃中より千手観音を得たとされ、人々に夕顔観音として親しまれています。

開創当時は真言宗でしたが、中興開山の際に臨済宗となりました。ただ、開創、中興ともに異説もあるようです。

樹林寺では、紫陽花を「愛慈妻」と書きます。ある年、その愛慈妻の咲く境内を撮るために、何度も樹林寺へと通いました。しかし、天気は良くとも花は早く、花が咲けば太陽が出ないのでした。写真では、既に花に傷みが見えるのですが、ようやく訪れたシャッターチャンスだったのです。しかし、住職は「こんなに花の惨めな年はない」と嘆くのでした。翌年、訪れてみると、自慢の愛慈妻は、きれいに刈られてしまっていました。

樹林寺「愛慈妻の境内」
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白樺山樹林寺
小見川町五郷内
創建・大治元年(1126)
臨済宗妙心寺派
本尊・夕顔観音

撮影・平成10年6月30日
4×5判 210mmF5.6 F22 1/15秒 EPP
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