成田山は新本堂の壁面を五百羅漢像とするために、狩野一信に下絵を依頼しました。狩野一信は嘉永六年(1853)、船橋の漁師町出身で、仏師として名をあげていた松本良山に彫刻を託しました。二人は一世一代の仕事にするのだと取り組みました。
松本良山は、八枚の大きな板に10年の歳月をかけて彫り上げ、高い評価を得て、仏師として最高位の「法橋」に叙せられました。
羅漢様は、現在も釈迦堂の両側面と背面にあって、江戸仏師の見事な技を、今に伝えています。
成田山は新本堂の壁面を五百羅漢像とするために、狩野一信に下絵を依頼しました。狩野一信は嘉永六年(1853)、船橋の漁師町出身で、仏師として名をあげていた松本良山に彫刻を託しました。二人は一世一代の仕事にするのだと取り組みました。
松本良山は、八枚の大きな板に10年の歳月をかけて彫り上げ、高い評価を得て、仏師として最高位の「法橋」に叙せられました。
羅漢様は、現在も釈迦堂の両側面と背面にあって、江戸仏師の見事な技を、今に伝えています。