ふるさと古寺巡礼 ―印旛・香取、古寺名刹の世界―

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西雲寺「新緑の山門」

「新緑の山門」

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稲荷山正年院西雲寺
山田町田部
創建・弘仁元年(810)
天台宗
本尊・地蔵菩薩、阿弥陀仏

撮影・平成11年4月22日
4×5判 305mmF9 F22 1/3 1/2秒 EPP

撮影ノート

空海の創建となる西雲寺は、開創当時は東光寺と号し、38世智玄まで続きました。しかし寺運衰退し、ついに断絶。中興開山の後、西雲寺と改めたのでした。

建長5年(1253)、木内胤俊という者が中興を志し、大和国橘寺から地蔵尊を勧請し、一堂を建てて御霊山延命院橘寺と称しました。その際、西雲寺を別堂としたのですが、僧伝祐が、さらに堂宇を造営しました。寺名を西雲寺と改めたのは、伝祐であるとも言われています。東光寺、橘寺、西雲寺と寺名が変遷しているのは、何故なのでしょうか。今、本殿に地蔵菩薩、客殿に阿弥陀仏を安置し、これを両本尊とするのも、このような経過の故なのでしょう。

写真の山門には、「御霊山」という額がかかっています。その山門をくぐって正面にある本堂は、別堂とされた西雲寺のものです。数度にわたる火災により、本堂・別堂の関係も複雑になっています。本尊の一つ、地蔵尊は信徒がことのほか多く、遠くは上総、常陸から死者の冥福を祈る者、詣でざる者なしと、新編香取郡誌に書かれています。

本堂は簡素ながら、どっしりとした立派なもので、堂宇は多くはないが寺域も広く、落ち着きのある境内です。写真の山門は、春の新緑を背景に撮影しました。「御霊山」の額が寺の山号と異なるのは、既述の通りです。