ふるさと古寺巡礼 ―印旛・香取、古寺名刹の世界―

ふるさと古寺巡礼 ―印旛・香取、古寺名刹の世界―

龍腹寺「八重桜と石塔」

「八重桜と石塔」

▲クリックで拡大写真をご覧いただけます。

玄林山龍腹寺
本埜村龍腹寺
大同2年(807)
真言宗
本尊・薬師如来

撮影データ・平成9年4月25日
4×5判 150mmF5.6 F22 1/15秒 EPP

撮影ノート

大同八年(807)創建の龍腹寺は、現在地より西に500メートルほど離れた本埜村滝というところにあって、承和4年に七堂伽藍を整え、寺中25坊、末寺72カ寺を擁する大寺でした。しかし、千葉氏に「北条討伐」を進言し、自らも寺内に兵を集めた龍腹寺は、北条側の夜襲にあって、灰優に帰してしまいました。

龍腹寺はまた、印旛沼の龍神伝説の舞台でもあります。天命に背き、干ばつに苦しむ民衆のために雨を降らせた龍が、身体を三つに裂かれて落ちてきた。その時、腹の部分が落ちてきた場所にたてられたのが、龍腹寺なのだと。しかし、私は印旛地区の寺を巡り歩いていて、こんなことに気がつきました。それは、~福寺という寺が、とても多いということです。今、ざっと拾ってみても、泉福寺、広福寺、栄福寺、来福寺とあげることができます。

龍腹寺の前身は印西地蔵堂だと言われています。延命地蔵が祀られていたものが、延喜17年(917)に龍腹寺と改めたのです。印西荘龍腹寺玄林山大鐘の銘のある梵鐘は、南北朝時代のものとされ、県指定の文化財になっています。

古寺巡礼の撮影をはじめて間もなく、八重桜の咲くのを待って撮影を行ないました。公休の朝、早くに出かけたのですが、太陽は林のために当分あたらないように見えました。そこで、太陽があたるまでの時間を使うことにより、光堂と龍湖寺の撮影もできたのでした。実り多い一目でした。