ふるさと古寺巡礼 ―印旛・香取、古寺名刹の世界―

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竜角寺「礎石の秋」

「礎石の秋」

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天竺山寂光院竜角寺
栄町竜角寺
創建・和銅2年(709)
天台宗
本尊・薬師如来

撮影・平成12年12月4日
4×5判 150mmF4.5 F16 2/3 1/30秒 E100s

撮影ノート

竜角寺は和銅2年(709)、当地の豪族の氏寺として創建されたと言われ、後に天平2年(730)、釈命上人が諸堂を建立したとされます。しかし本尊の銅造薬師如来座像は白鳳時代の作で、関東では深大寺のものと二体しかない貴重なものです。江戸時代の火災により当時のものは頭部のみで、体部は補作ですが、国指定の重要文化財となっています。

竜角寺古墳群は総数124基と言われ、その盟主と言うべき岩屋古墳は、一辺78メートル、方墳としては日本第二位の大きさを誇ります。これは、同時代の推古天皇陵を遥かに凌ぐ規模となるものです。このことと、同古墳の石室が早い時期に暴かれたと言われていることは、深い関係があるのではないでしょうか。また、岩屋古墳の背後の古墳広場から龍角寺まで、一本の細い道が続いています。いわゆる「白鳳道」です。もし、竜角寺を創建した人物が、岩屋古墳の主か、その後継者であるとすれば、本尊が白鳳仏であることと時代がピタリと一敦することになります。

有名な「雨を降らせて殺された龍」の伝説は、むしろ、印旗の国が「蛇の国」「龍の国」であったことと関連づけて考えるべきなのではないか、と思います。龍の国で「龍の死」を宣告し、新しい支配を宣言すること、ここに、この伝説の目的があるのではないでしょうか。そして、新しい支配以前の歴史は葬り去る。語ることを許さない。これが、今に伝わる創建年と実年代に「ズレ」の生じる原因なのではないか、そのように私は考えています。

境内には山門跡の礎石、講堂跡の土盛り、塔心礎などがあります。国指定史跡の塔心礎の柱穴は直径80センチあって、塔高は三十メートルはあったと試算されています。

撮影当日は、たまたま落ち葉が敷き詰められたままになっており、秋の日差しに映える落ち葉と山門の礎石跡を配して撮影しました。しかし、もっとも良い構図では訪問者の乗用車が入ってしまっています。後に撮り直そうとしたのですが、今度は、落ち葉がきれいに掃き清められてしまっているのでした。