永福寺「墓石と桜」
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飯岡山永福寺
成田市飯岡
創建・天平宝字7年(763)
真言宗
本尊・薬師如来
撮影・平成11年4月9日
4×5判 110mmF5.6 F22 1/2 1/30秒 ElOOs
成田市飯岡
創建・天平宝字7年(763)
真言宗
本尊・薬師如来
撮影・平成11年4月9日
4×5判 110mmF5.6 F22 1/2 1/30秒 ElOOs
撮影ノート
永福寺は天平宝字7年(763)、唐僧鑑真によって創建されました。しかし寛平5年(893)と明暦3年(1657)の二度の大火により諸堂伽藍は残らず消失し、旧記とともに烏有に帰したのでした。隣の荒海地区には「鑑真坊」「唐竹谷」という鑑真に因む地名が今も残されています。
鑑真坊は、鑑真が僧を集めて修行したところであり、唐竹谷は、唐から持ち帰った竹を植えたところなのだと言います。また、三蔵法師の真筆と伝える大般若経には、不思議な言い伝えがあったようです。
文政4年(1821)に佐原の儒学者、久保木竹窓が同寺に泊まり、聞き取った話しを「巷談寓記」に記しています。それによると、昔、永福寺に一人の僧が宿泊したのですが、夜、寝る様子がありません。不審に思った住職が覗いてみると何人もの僧がいて、一心に何かを書いています。ところが、覗いているのに気がついた僧達は、明かりを消してしまいました。翌朝、部屋に行ってみると、既に誰もおらず、床には墨も新しい大般若経が散らばっていました。集めてみると、全巻には一部欠けています。覗かなければと悔やんだ住職は、不足分を版本で買い足したのだと。
火災を受けた境内は明るく太陽が差し込むのみで、往年の繁栄を想像するよすがもありません。集められ、積み上げられた墓石も月日の流れを感じさせるのみです。しかし、春ともなれば、現世との縁を失ってしまったであろう墓石の上に、あくまでも華やかに桜の花が咲き誇るのでした。