ふるさと古寺巡礼 ―印旛・香取、古寺名刹の世界―

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「不動信仰に知る弘法大師の偉大さ」

弘法大師と鬼信仰

私は、成田山の人気の秘密は日本人の鬼好き、にあると考えています。「不動明王は鬼ですか?」という疑問を持つ人がいるように、不動明王は大日如来の憤怒の相、なので「鬼の形相」と言っても良いと思うわけです。鬼のようだ、と見えることが重要、だと思う次第です。

東日本大震災があり、東北の神社で祭りが復活した、というニュースには、しばしば鬼が登場します。悪玉、としてではなく、無病息災や家内安全の「神」であることは注目して良いと思います。中でも、下の「なもみ」は秋田県の「なまはげ」とも関連づけられて参考になりました。

古くは邪馬台国の卑弥呼も「鬼道」をよくする、と表現されています。この「鬼道」は、なまはげやなもみと同じ性格のものと考えてよいのではないでしょうか。このように東北ばかりではなく、西日本にも鬼信仰がありました。

現代でも、神がかり、だけでなく「神対応」「神きた-」などと「神」が使われますが、鬼についても「鬼強い」「鬼速い」のほか、「鬼可愛い」「鬼うまい」などと使うそうです。鬼を邪悪な者と考えない精神風土があり、その根底には鬼道により乱れた倭国を安定させた卑弥呼に見られるように、鬼を信仰する日本人の文化があると思います。「神」と「鬼」は同義である、という説明も聞きます。

このことから、弘法大師が戦乱の続いた時代を受けて、平和のために不動明王を、と考えた理由も浮かび上がってきます。民衆が信仰する鬼を仏教に取り込むことにより、融和を図ることができます。民衆の信仰を得ることは民心をつかむことになり、対立の芽を摘み取ることに繋がります。そこに弘法大師の慧眼、観察と分析、対策の確かさ、ということが浮かび上がってくると思います。その意味では、成田山が日本一の参詣客を集める、という現代の姿は、弘法大師に言わせれば「当然、そうなると分かっていたよ」ということになるのだと思います。

故に私は、今日の不動信仰の広がり、人気、成田山の隆盛は、弘法大師の偉大さを知る証の一つとして語られるべきものだ、と考える次第です。


鬼信仰、なもみ

コトバンク、では次のように解説していました。

…日本の来訪神には三つの形態がある。ひとつは仮面仮装した異形の姿で来訪するものであって,秋田のナマハゲ,能登のアマメハギ,三陸のナモミ,ヒガタタクリ,甑島(こしきじま)のトシドン,吐噶喇列島悪石島のボセ,宮古のパーント,八重山のアンガマ,アカマタ・クロマタ,ミルク(弥勒),マユンガナシ,フサマラーなどがある。仮面仮装する者の多くは若者であり,また特別の資格を備えた村人である。…
…なまはげの名称は,炉にあたってできる火だこの〈なもみ〉をはぎとることで,火だこができるような怠け者を懲らしめるという意味をもつ。秋田県由利郡地方では〈なもみはぎ〉,秋田市では〈やまはげ〉と呼ぶほか,石川県能登半島には〈あまめはぎ〉と呼ぶ同じような行事がある。男鹿半島のなまはげは赤神神社五社堂の行事が半島一円に広がったとも伝えるが,1964年以降は男鹿市が観光化して,新たに2月13~15日の北浦真山しんざん)神社の柴灯祭にも行っている。…

YouTubeには鬼にまつわる年中行事が見られます。

小正月の1月15日、岩手県野田村で「なまはげ」によく似た伝統行事「なもみ」が営まれた。
洋野町大野地区で15日夜、小正月の伝統行事「なもみ」が行われ、林郷青年会(西君治会長)の男衆が扮(ふん)した鬼が、小さな子どものいる民家を回り、無病息災や家内安全を祈願した。

「幻想世界神話辞典」というサイトでの紹介です。

(なもみ・なまはげについて)

東北、北陸の雪国の冬の夜の来訪神。秋田では、なまはげ(なもみはぎ)という。また石川県内浦でも「なもみはぎ」という。
「あまめ」とは怠け者の足などにできる座りだこのこと。怠けているものを戒めようと、そのあまめを剥ぎにくる。なもみはぎも同じである。
大晦日(農事暦の年の変わり目)にニ、三人で恐ろしい顔で訪れる。家々では歓迎して家に上げ、甘酒などでもてなす。
海沿いを中心に日本の各地に似たような伝承がみられる。