木下廃寺跡「午後の農道」

撮影ノート

戦後、荒廃した民心を見かね、近くの畑から出土した瓦などを国鉄木下駅に展示した人達がいました。郷土に古い歴史のあることを示し、人々の心に自信と安らぎが生まれれば、と考えたのです。その古瓦の出る台地は、後に早稲田大学によって発掘調査が行なわれることになりました。すると法起寺式の堂塔配置、山田寺形式の瓦を持つ白鳳期の寺院跡であることが明らかとなったのです。全国に国分寺が作られる、六十年以上も前のことです。しかし、その寺院の名は不明のままで、木下別所廃寺跡と呼ばれています。

遺跡は十メートル四方ほどの金堂と横二十メートル・縦十メートルほどの講堂跡からなり、七百メートルばかり離れた天神幼稚園前からは、瓦を焼いた曽谷窪瓦窯跡も発見されています。そんな遺跡も、いま訪ねてみると、台地の縁の林と見渡す限りの畑があるだけです。一方、同じ別所の地には、七堂伽藍、寺中八カ寺を擁し、関東一の霊場であったという地蔵堂があります。近年の調査により、本尊の地蔵菩薩像は、平安末から鎌倉初期に遡る古仏であると鑑定されました。

現地には、「木下廃寺跡」の石碑と、建物跡を示す小さな碑があるだけで、古代寺院の存在を思わせるものは何もありません。良い天気に誘われてカメラのついた三脚を肩に歩いてみると、畑の中を農道が横切っており、午後の日差しが豊饒の大地を照らしてくれていました。

木下廃寺跡「午後の農道」
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木下別所廃寺跡
印西市別所
白鳳時代、山田寺式瓦・法起寺式伽藍配置

撮影データ
150㎜F5.6 F22 1/8秒 EPP
平成10年11月14日
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