ふるさと古寺巡礼 ―印旛・香取、古寺名刹の世界―

ふるさと古寺巡礼 ―印旛・香取、古寺名刹の世界―

「成田山と古代印旛の謎」

4. 古代印旛の神戦譚

戦場ヶ原で繰り広げられたという赤城山と二荒山の神の戦い。私は以前から、この神話が実際にあった戦争だと考えてきました。赤城山では、今でも負けを悔しがる神事が行われているし、古墳時代になっても群馬県から出土した銅器の中には、「蛇」と説明されていてもムカデに見える象ガンがあったりするのです。縄文時代に高い文化があり、階級や国と呼べる集団があった痕跡が明らかになってきて、それは疑う余地のないものと言えると思います。では、そのような古代の戦争は、房総半島では起こらなかったのでしょうか。その痕跡を示す民話が、上総に残されていました。平野肇著「伝承を考える」(金鈴文庫)に次のような神話が収録されています。

「昔、東京湾の中瀬のホラ貝が霞ヶ浦の先の竜宮を見物にやってきた。ところが印旛沼の八巻大蛇と通せ通さぬの大喧嘩となった。七日七夜の死闘の末、大蛇は投げ飛ばされて相模の小さな島になってしまった。そこで大蛇は伊豆大島の三原山に助けを求め、今度は三原山とホラ貝の大戦争になった。見かねた鹿野山と筑波山が調停に立ったが収まらず、富士山に仲介を頼むことになった。ところが富士山はただ見ているだけで動く様子がない。それが、ある日突然煙を吐くのをやめたので、さすがの三原山とホラ貝も戦いを止めたのだった」

ここで登場する地名から考えてみましょう。立体的な土面の発見された印旛地方は縄文の全時期を通じて遺跡が形成されています。そして、蝮が多く、印旛沼の形と合わせて「蛇の国」だと言われてきました。筑波山には常陸の国の風土記にも「祖神の命」の神話があります。鹿野山には阿久留王伝説や鬼泪山の地名説話があって、古代勢力の拠点としての痕跡があります。伊豆諸島は、遙か旧石器時代、すでに古代人による黒曜石の採取が始まっていました。3万5千年前の物が知られています。肝心の東京湾のホラ貝はどうでしょうか。これは、海辺の民ということでしょう。「中瀬」がどこにあたるのかが問題です。

ホラ貝との戦いに敗れた八巻大蛇は相模の沖の猿島という小さな島になったと語られています。印旛の遺跡に、そのような戦争や、湾岸勢力の進出の痕跡はあるのでしょうか。また、印旛の国は一貫して蛇の国であったようです。竜角寺伝説の「龍」も、蛇から発展した姿だと言えるでしょう。そして、天命に逆らって龍が三つに切られたという伝説こそ、大蛇と龍の国の最後を語るものだったのかもしれません。岩屋古墳の巨大さと創建の伝承年代よりも遡る竜閣寺の白鳳仏の存在は、輝ける竜の国の最後の輝きだったのではないでしょうか。そして、その輝ける歴史があったからこそ、二つのビクトリーテンプルが成田の地に創建され、鬼信仰を背景として江戸庶民の不動信仰へと結びついていった、そのような楽しい「空想」にとらわれたとしても、決して根も葉もないと断ずることは出来ないのではないでしょうか。

扶桑の国、房総半島。その一角に龍の国、印旛の国があった。その事実から、どのような歴史が見えてくるのか。ふるさと古寺巡礼は、そのような遙か古代の歴史に迫る旅であり、失われた古代房総人の息吹を感じようとして、4×5カメラの大きなスクリーンに映し出される風景を追い求める旅なのです。