ふるさと古寺巡礼 ―印旛・香取、古寺名刹の世界―

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「土器の発明」

【目次】
  1. 火山と温泉という揺りかご
  2. 煮沸道具としての土器
  3. 人類史から見た土器の発明

新石器時代の幕開けを告げた土器の発明は、人類、初の工業製品と言っても良いでしょう。石器のように叩いたり磨いたりという加工から、火による変成、変質を伴うものだからです。現在、最も古いものは青森県大平山元遺跡のものとされ、一万六千年前で、世界最古、と言われています。では、その土器は、どのようにして発明されたのでしょうか。東北地方が土器発明の地だとすれば、何が、その原動力となったのでしょう。

日本列島は旧石器時代に、既に磨製石器を出土する希な地域だと言われています。そして、その日本列島は、火山列島です。現時点で最古の出土地とみられている青森県は、多くの有名温泉を湧出する地でもあります。ここに、土器発明の大きなポイントがあるのではないか、このことについて、しばし、想いを広げてみようと思います。


1. 火山と温泉という揺りかご

土器の発明の第一の要素は火、でしょう。常に火を焚いている炉の下の土は硬くなることでしょう。また、火山が噴火すれば、溶岩が土を焼きます。溶岩流の先端で地面の土が硬くなっていることを発見すれば、それは、発明に繋がる知識となります。そして、火山地帯には温泉があります。

私たちは温泉と言えば「入浴するもの」と発想してしまうけれども、旧石器時代人にとっての温泉は、そのような限られた用途のものではなかったはずです。なぜなら、「湯」そのものが、現代のようにガス器具やその他の道具によって、簡単に得られるものではありませんでした。いや、湯を作るための「器」すらない時代でした。しかし、人類は、既に「湯」自体は知っていたことでしょう。岩場にたまって暖かくなった水があったし、水たまりに落ちた焼いた岩の力で水は沸騰しました。

日本語では暖かい水は「ゆ」ですが、英語では「Hot Water」、つまり暖めた水です。日本語では、言語の成立時点で、すでに、暖めなくても存在するHot Water があった、ということだと思います。それは、温泉の存在によるものでしょう。言語学からは、日本語の成立には少なくとも数千年、旧石器時代にさかのぼる可能性もある、とも言われています。

一方、温泉を湧出する地帯においては、それは日常的に存在しました。それを人間にとって有用な効能を持つものとして活用するに至ることは、決して不可能なことではなかったと思われます。例えば、秋田県の玉川温泉では、地元の人が、今でも温泉に野菜を湯がきにやって来るそうです。そのような活用方法は、石器時代であっても可能であり、それは、使い方の「発見」を待つだけのものです。また、同じ秋田県の男鹿半島には、焼いた石で調理する「石焼き」があります。そのような「調理」もまた旧石器時代でも可能なのであって、それも「使い方の発見」だけで可能なのです。旧石器の人々は、焼け石で肉を加工する、ということをしていたと言われています。火、あるいは熱水による肉や野菜の加工は、特別なごちそうであったことは、間違いないと思うわけです。

そこで、温泉地では常に「湯」が溢れ、そこに浸けるだけで食糧事情に大きな幅が得られ、男鹿半島のそれでは、多大な資源と労力を要することになります。もちろん、焼け石によって沸騰状態まで持ってゆく石焼きは、温泉地でも必要な時があるでしょうが、温泉による湯がきが常に出来ることは、大変な違いです。「湯」の効果を知った人類にとって、常にそこにある地域と、焼いた石や燃えやすい木の葉という不安定な道具を使いこなして一時的にしか得られない差は、非常に大きいと言えるのではないでしょうか。


2. 煮沸道具としての土器

とはいえ土器は、道具としては、先ず、「器」であるはずで、「鍋」としての機能は、その後の「発見」ではないのか、という疑問はあると思います。

確かに、水を入れる器は、とても大事です。人類は、それを作るための工夫、加工は土器以前からの必要条件だったことでしょう。しかし、その点では瓢箪のような植物の利用、動物の皮による袋など、決して存在しないことはなかったと思うわけです。むしろ、可搬性、という点では土器は大きく劣ります。また、土を焼く、という発見それ自体の中に、火とのつながり、火を使うこと、火を使えることが含まれています。ですから、火によって開発された土器が、火に強い器である、ということは、その当初から理解されていただろうと思うわけです。すると、器、としては火にかけられる、このことが大きなメリットとして期待されたことは、全く不自然なことではないと思います。不完全であっても存在する水を入れる器、に対して、湯を使う、生み出す道具という点で、それは、充分に動機となり得る、そう思う次第です。

更に、土器の可搬性の低さ、という点から考えると旧石器人は定住はしていなかった、という常識があります。しかし、人類最古の住居という点ではフランスの地中海沿岸部、テラ・アマタ遺跡から38万年前の小屋跡が出ています。これは、まだ旧人類の時代です。すると、人類には住居を作る知識も能力もあったはずで、決定的なことは言えないのだと思います。また、温泉のない地域で湯を作る道具、として土器が有効なことは論を待ちません。

温泉は、浸かって心地よいもの、傷の回復や疲労の回復、ストレスの解消と浸かることによっても大きな恩恵をもたらしていたことでしょう。それだけでなく、玉川温泉の例のように様々に活用された。だとすれば、現代のリゾート地、的な面だけでない、大きな格差を人々に与えたはずです。例えば、熱を通すことによって、消化吸収の面での効果、また、栄養面での効果があることでしょう。煮ることによって栄養が吸収されやすくなったりする現象があります。そこには、巨大な地域間格差と言うべき状況が存在した、と言えるのだと思います。

温泉は、多くの恵みと恩恵をもたらしました。その温泉を近隣に知りつつ、日常的にその恩恵に浴せない人々が、常に湧き出る湯の地を羨望し、暖かい水を渇望したことは、大いにありうると思います。その切実さは現代の我々の想像を絶するものがあったことでしょう。この、持たざる者の渇望が、土器という偉大な発明をもたらしたのではないか。このように、私は土器発明の動機についての想いを巡らせました。


3. 人類史から見た土器の発明

以上のことを考えた末に、もう一つ、別な問題に気がつきました。それは、現代の子供たちの食生活について、固いものを食べない習慣が定着して顎の骨や筋肉が退化し、脳の活動に悪影響を与えるのではないか、という懸念する記事があったことです。この、食生活の変化によって顎の筋肉が退化するという問題は、まさに猿から人間に進化する過程の中でも起こったのではないでしょうか。先行人類、原始人類は、道具としての火を「発見」し、肉や植物を焼くことによって、顎にかかる負担を大幅に軽減させたことでしょう。また、消化が良くなることにより肉体的な負担の軽減が起こり、「余暇」が生まれる、という指摘も重要です。ゴリラでは食べた後の休憩時間が長いのだそうです。食後の消化は肉体的な負担が大きいのです。マンモスなど大型哺乳動物の絶滅は人類によるものだと考えられており、高い狩猟能力と余暇の発生は、人類の精神生活にも影響を与えたに違いありません。

考古学からは火の使用は百万年前にはあったと見られています。南アフリカの洞窟から火で焼けた獣骨が一カ所にまとまって発見されました。現代人の脳の構造は、三万年前には完成されていた、という説がありますが、土器の発明は今のところ一万六千五百年前です。すると土器による顎の筋肉と頭蓋骨への変化は、さほどでもなかったこということでしょうか。しかし、植物にしろ肉にしろ、土器という鍋で火を通すことにより、栄養の吸収と消化が良くなるならば、それは肉体への効果だけでなく、消化の負担が減ることで「余暇」と言う名の精神生活の拡大をもたらしたことでしょう。それによりもたらされた「豊さ」は、今日の文明へと通じる、人類にとって大きな、新しい世界であっただろうと思います。

土器の発明から始まる工業生産の歴史は、鉄器の発明にいたって急速な進歩を人間にもたらしました。私は人類が獲得したその特性は、人間よりも遙かに身体能力に優れた動物たちと、火と石で対峙し、知恵と努力で生き抜いてきた、旧石器時代の祖先達の、長い苦闘の賜物であると思っています。脚力、腕力など運動能力で劣る人間は、観察し、考え、工夫し、勇気と共同作業で獲物を捕らえ、自らを守ったことでしょう。失敗が死にもつながる中での集中力と行動力、命と存続をかけた、私たちの先祖の生存の闘いが、人類としての資質を育んだことでしょう。ささやかな道具と考える力で自然界に於ける人類の優位性を築き上げてきた、旧石器人の努力、知識活動の蓄積と発展が、その後の文明発展の礎となったことに感謝しなければならないと思います。

石器と火で生き抜いた旧石器人、私たちの祖先が真剣に生きて、知恵を絞って工夫したからこそ、土器の発明を成し遂げ、それが、人類を今日の繁栄へと至らしめてくれました。現代の繁栄の礎は旧石器の人々が築いてくれた。土器の発明は、その旧石器時代の人々による人類の輝かしい進歩の一ページとして特筆大書されるべきことだと思う次第です。